2週間で実感。大人のプラットフォーム「Substack」の育て方
創設者が明かす「庭」の仕組みと、文筆業21年目の私が思う3つの仮説
こんにちは! りらの花です。
さて、早いものでSubstackを始めてちょうど2週間が経ちました。
本日のニュースレターでは、この2週間Substackを観察してきて思ったこと、そして「このようにアカウントを育てていくのがよいのでは?」という私なりの考えをお伝えしようと思います。
まず2週間経ってみて強く感じていることは、「人」をよく見ているプラットフォームだなということ。
ノートや記事での発信内容はもちろんのこと、自分がどういったことに関心を持ち、反応をしているのかについて、「見られてる・・・」という感覚があります。
フィードで目にするのも、フォローしている方すべてではない。明らかに私の趣味、志向と似た方の投稿が流れてくる印象。
また、ノートの投稿に対してコメントをした、あるいは「いいね❤」を押した方の投稿を、より目にするようにも感じてしています。
皆さんは、いかがでしょうか?
さらには、始めて2週間ながら、日々のノート投稿でコメントのやり取りも生じ始めています。
コメントの内容が深い!
投稿をしっかり読んでくださり、反応してくださる方が多い印象です。
始めた当初からこうした反応がいただけることは、他のフロー型のSNS(XやThreads)ではなかった現象なので、驚いています。
他のSNSがどちらかといえば「型」に反応するのに対して、Substackのノートは「内容」に反応していただける。そんな第一印象を持ちました。
ただこれは、Substackに参加されている人がまだ少ないので、どこか牧歌的な雰囲気があるのかもしれない・・・。
そんなことを思いながらフィードを眺めていたときに、とても興味深い記事に出逢いました。
ノートでもご紹介しましたので、もしかしたら目にされた方もいらっしゃるかもしれません。
Substackの共同創設者の一人であるヘイミッシュ・マッケンジー(Hamish McKenzie)氏のエッセイです。
現代のメディア環境の混乱を歴史的視点から分析、Substackが目指す未来、新しいメディアのあり方を提示するという内容。
簡単に要約しますと、新聞社やテレビ局といったマスメディアが情報コントロールする「トップダウン型」から、ソーシャルメディアの発達により誰もが発信できるという民主主義の時代になった。
一方で、アルゴリズムが「注目を集めること」を最優先するがあまり、「バズる」ことを目的とした極端な意見や対立、刺激的なコンテンツが溢れるようにも。
マッケンジー氏はこれを、かつての神殿(伝統的メディア)時代から、現在のカオス(SNS・注目経済)時代への移行だと評しています。
では、Substackが目指す新しいメディアのあり方とは?
「庭」であると、マッケンジー氏は提唱しています。
独立した書き手が自分の「庭(コミュニティ)」を育てる。読む人は直接サブスクリプション(購読)で支援をすることによって、書き手はアルゴリズムや広告主にとらわれることなく、良質なコンテンツの創作に集中できる。
庭のようなシステムにおいては、さまざまなコミュニティが緩やかに繋がっていきます。そして、「信頼」に基づいた関係が築かれる。
カオス時代の罵り合いではなく、深い対話が可能になるのだと。
この記事を読んだとき、すべてが腹落ちしたのです。
私がこの2週間、Substackで感じていたこと。それはすべてこの世界観に繋がっていたのだなと。
時折「検索」セクションに行き、興味のあるジャンルのボタンを押して投稿を眺めるのが、Substackでの一つの楽しみになっています。
主に見ているのが、「ガーデニング」や「料理&レシピ」、「旅行」などなので余計なのかもしれませんが、とても穏やかで牧歌的。
他のSNS等でよく見かけるショート動画やリール動画のような、煽り要素の多い、刺激的な投稿はほぼ見かけません。
すでにSubstack文化が根づいている諸外国では、そうした「SNS疲れ」をした大人たちが、最後の楽園を求めて集まり、それぞれの「庭づくり」をされているからなのかもしれません。
この傾向は、日本でも同様でしょうか? まだ何とも言えない状況ですね。個人的には、同じような文化が根づいてくれればよいなとは思っていますが。
いずれにしても、プラットフォームが何を目指している場であるのか、ということは知っておいて損はありません。
なぜなら、そうした理念が媒体の構造・アルゴリズムなど、すべてに反映するよう設計されているからです。
そして、少なくとも私は冒頭でお話しましたように、その設計にまんまと乗せられていることを感じています。
では、この「設計」を踏まえたうえで、これからどのようにアカウントを育てていくとよいでしょうか?
マッケンジー氏曰くの「庭」という観点から、3つの私なりの仮説をご提案しますね。
その1:まずは小さな「自分の庭」を耕す
他のSNSでは、フォロワー数やインプレッションといった「数」を追う、いわば領土拡大のような動きが求められます。けれど、Substackでそれをやってしまうのは、せっかくの豊かな土壌が荒れることになりはしないか。
まずは、自分の発信という種をまき、それに深く共鳴してくれる「濃い読者」との関係を育てること。時間をかけ、コツコツと積み重ねながら「自分好み」の庭を創ることが、結果的に近道になるのではないかと。
その2:ご近所さんの「素敵な庭」を訪れ、言葉の手入れ
Substackのアルゴリズムが「人をよく見ている」と仮定して、その仕組みをポジティブに活用。
検索やフィードで見つけた、自分の感性と合う「素敵な庭」に積極的にお邪魔して、足跡を残す。「いいね」はもちろん、心に響いたことを「言葉」で交わし合う。
これは、相手の庭を一緒に手入れさせてもらうような感覚。そうした丁寧な対話の積み重ねが、プラットフォーム側に「この人とこの人は、良質な関係性を好む住人同士」と認識され、さらなる良き出会いを引き寄せるループが生じるのでは?
その3:フローで出逢い、ストックへお招きする
日々、タイムラインに流れるノートは、いわば庭の垣根越しにかわす「挨拶」や「立ち話」。そこで、「あら、この庭の中まで入ってみたい」と興味を持ってくれた方を、ニュースレター(記事)という、パーソナルな庭園へとお招きする。
この役割分担を意識して使い分けることが、自然且つSubstackの理念にそった運用かと。
✿ おりらちゃんの今日のまとめ ✿
庭づくりには、ある程度の時間と根気が必要。日々の手入れが欠かせません。けれど、花が咲いた時の光景はそうして費やした時間さえ、愛おしく感じる。
もし、あなたがこの文章に「ピン」と来たのであれば、「Substackでの庭づくり」に本腰を入れてみてはいかがでしょうか。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
なにかピンとくるところがありましたら、コメントでぜひ✿
それではまた次のニュースレターでお目にかかりましょう。
noteで『ことばと書く人の寺子屋』も開講しています。覗いてみてください!





流れるプラットフォームと違い、立ち止まって、井戸端会議して、ちょっとお宅のお庭にお邪魔いたします、の雰囲気でしょうか。リアルでも見かけなくなった光景。懐かしい、戻りたい、人間らしい交流がしたいと思う方が集まる場所。そんな場所になったらいいですね。
りらさん、こんにちは🌷
すごく腹落ちする素敵な記事でした。Xの、目に見える数字に少しずつ疲れていたのだな…と、ここSubstackに来て感じています。
とはいえ現状は並行してますが😅
「お庭づくり」素敵な場所ですよね🍀