Substackに本腰を入れたら、Xの反応まで変わったお話。
流れて消費される言葉ではなく、立ち止まって味わう言葉へ
こんにちは! りらの花です。
私は、noteとXを昨年から始め、今年の5月からSubstackを開始。3つのプラットフォームで毎日発信しています。
発信しているテーマや内容は同じ。「言葉と書くこと」について。それなのに、プラットフォームによって、ものすごく差があります。
苦戦しているのがX。昨年の5月にアカウントを立ち上げ、この1年間、毎日欠かさず投稿をしてきました。
嗚呼それなのに(泣)フォロワー数はようやく400人に届いたところ。日々のインプレッションも1000いくかどうかって感じです。
一方で、noteやSubstack。不思議なことに伸びています。noteは約1年半でフォロワー数が2200人を超え、全体ビューも42万ビューに到達しました。
Substackも同様。3週間でフォロワー数は300人、購読登録者数も130人を超えました。
こうした差がつく原因はどこにあるのでしょう? 自己分析してみると、プラットフォームの構造の違いと共に、見えてきたことがありました。
Xで伸びない理由、Substackやnoteで伸びる理由
Xで求められているのは、「短文で瞬間に刺す力」「アルゴリズムのトレンドをうまく捉えて数字を取りに行く力」。
発信の内容というよりは、「型の取り入れ方」「立ち回りのうまさ」のほうが求められる。この1年でそんな印象を持ちました。
そして、自分の言葉が流れていく感覚も。積み上がっていかない。もちろん、フロー型のプラットフォームだからということもあります。
さらには、フィードに流れてくるポストを追うことも正直疲れる。刺激の強い言葉が洪水のように押し寄せてきて、呼吸が浅くなる。呼吸が浅くなれば、思考も浅くなる。そんな感覚でした。
一方で、Substackやnote。この2つのプラットフォームの共通点は、「瞬発力」より「信頼」を重視していること。「立ち回り」より、「関係性の構築」が求められている印象です。
noteは元々、文章をじっくり読みたい、書きたいという人が集まる場です。そしてSubstackは、短文SNSから流れてきた人が多いようですが、残っている方々を見ると、やはり「じっくり読みたい、書きたい派」が多い印象。
そして、私自身とプラットフォームの属性が似ているのが、Substackやnoteなのだろうと思います。
だからなのか、「今日はこんなことを感じて、こんなことを考えました」と、肩の力を抜いて話せる感覚がある。
特に不思議なのが、Substackのノート。こちらはXと同じでフロー型なのに、流れを追っていても疲れない。むしろ、今日はどんな投稿、知らなかった世界に出逢えるのだろうかと、ワクワクしながら眺めている自分に気づきました。
マインドが変わったら、Xの反応が変わった
Substackを始めてから、ノートのフィードを見るのが楽しくなり、私自身も自由に思いつくまま投稿をし、反応をいただける。
ノートでレギュラー投稿をしている「今朝の朝ごはん」。
日々の記録代わりに投稿し始めましたが、ご好評いただいているのですよね。
こんな内容でもよいのだと驚きました。
同じく、皆さんのノートも実に個性豊か。肩に力の入っていない感じで、楽しそう。そこから、「どんな方なのだろう」と自然と興味がわき、記事も読んでみたくなる。
まんまと、Substackの「庭型プラットフォーム」の魔法にはまっているわけです。
✿庭型プラットフォームについてはこちらの記事を参照ください。
で、思ったのです。私がXで伸びない理由。Substackのように、Xでは楽しんでこなかったよなと。
Xを始めたそもそもの理由は、「noteの拡散装置」。数字、フォロワー数、インプレッションを増やすことが目的でした。
だからこそ、数を伸ばすための攻略研究もしました。
「長文記事が伸びるらしい」と耳にすれば、noteの記事を移植して投稿してみる。
大手インフルエンサーの引用がよいと聞けば、果敢に絡んでみる。
けれど、続かない。消耗が激しかったからです。伸びると言われる「型」にはめようとすればするほど、「自分のことば」からどんどんかけ離れていく。
インフルエンサーさんはお優しい方が多いので、絡んでいくと応えてくれる方がほとんど。けれど「利用している」感が否めない。
引用したいからではなく、「引用すると伸びるから」という自身の魂胆に嫌気がさすのです。
これは私にとって、「言葉への重大な背徳行為」です。
なので、自分のことばを裏切るのは止めようと。そして、Xでも書きたいことを書きたいように発信するようにしました。
すると何が変わったか。
読んでくださる方の反応が変わりました。日々、交流をしてくださっている方々のみならず、「はじめまして」の方からもコメントをいただくようになったのです。
そしてある日、「木漏れ日」について書いた投稿。
木漏れ日とは日本人独特の感性を象徴した、他の外国語では翻訳語がない言葉であるという内容だったのですが、「私が木漏れ日に感じること」をたくさんの方がリプで寄せてくださいました。
思いました。私が書きたいのは、「流れて消費される言葉」や「数字を伸ばす言葉」ではなく、「立ち止まって味わう言葉」だったのだと。
そして、Xでもそれはできるのだと。私がそういう言葉を書きさえすれば。
ここで誤解していただきたくないのは、Xの構造やアルゴリズムを追求することへの批判ではないということ。
問題は、私自身のマインドです。書き手としての志はなんなのか。
どんな場所でも「自分のことば」を見失わないこと。
読む人が共鳴するような、そんな言葉を書く。それが、Xでは「伸びる言葉を書く」にすり替わっていた。だから激しく消耗した。
最終的には、「どんな姿勢でどんな言葉を書くのか」という一点に行き着くのです。
Substackでも同じ。ここでも、数字をいくらでも追うことができます。『伸びる型』というのも、そのうちに生まれてくるのかもしれません。
けれど今のところはまだ、「自分のことばを持ち寄ろう」とする気概を感じていますし、私自身もそうしています。
生活のこと。小さな発見。まだ整理途中の考え。うまく言葉にできない感情。
そうしたものを、急いで結論づけず、そのままのカタチで差し出せる空気。それをふんわりと受けとめる度量。
そうした「自分の庭」を荒らすことなく、維持できるか。それは、私自身の言葉と向き合う姿勢次第。そう思いながら、日々言葉を紡いでいます。
✿ おりらちゃんの今日のまとめ ✿
あなたには、「呼吸が浅くなる場所」と「自然に言葉が出てくる場所」、ありますか? コメントで教えてください。
ここでは、急いで結論を出さない言葉も、そのまま置いていく。そんな「庭づくり」を続けていきます。ぜひまた遊びにいらしてくださいね!
それでは次のニュースレターでお目にかかりましょう。
noteでメンバーシップ『ことばと書く人の寺子屋』も開講しています。覗いてみてください✿





はじめまして。木漏れ日。いいなぁ。
あと、虫の鳴き声は、日本人は虫の声として聞くけど、外国人は雑音なんですよね。
サブスタは、虫の鳴き声を聞きたい人が多いと思います。
共感しました!私もサブスタを始めてから、肩の力が抜けて、Xでも投稿が楽しくなってきました✨サブスタ効果を感じています。