書ける人は、世界を見る前に「心の動き」を見ている。
こんぺいとう一粒から、一つのエッセイが生まれるまで。
こんにちは! りらの花です。
私は、Substackのほかにnoteでも執筆をしています。2025年1月22日に書き始めて以来、毎日1記事の投稿を続けています。
特に「毎日投稿」を目標としているわけではないのですが、気づけばもう500日以上、書き続けています。すっかり習慣になってしまったようです。
そうしたことから、「書くネタが尽きませんか?」とか、「どうしたら、こんな文章が書けるようになりますか?」といったご質問を、ありがたいことに頂くことがあります。
実を言うと、「書こう」という意識はあまりないのです。むしろ、日々の生活の中で、「あれ?」と引っかかることや、心が動いたことを、言葉に置き換えているだけなのです。
今日はnoteの記事をひとつ取り上げて、どのように執筆をしているのか。自分なりに解剖してみようと思います。
先日書いたこちらの記事。
『こんぺいとうの最後に、「溶けない芯」を探すフリーランス21年目。』
https://note.com/lila230214/n/n344cd456cd33
noteで開催中の「創作大賞」エッセイ部門に応募した記事ですが、多くの方に読んでいただけたようで、コメントもたくさん頂戴しました。
買い物に行った「無印良品」で見かけた「こんぺいとう」をつい買ってしまった。そんなはじまりです。
そこから、私の頭の中ではこんな流れが起きています。
このように、自分の心の動きを観察し、その観察記録を言葉に残しているのです。
そして、その一連の流れを追体験してくださった方々が、「こんぺいとうを買いに行きます」「こんぺいとうの芯を探しながら、自分の人生の芯も考えてみます」といったコメントを残してくださいました。
恐らく、「こんぺいとうには芯があるのですよ。知っていましたか?」というところで止まっていたら、「へ~、そうなんだ」で終わっていたと思います。
こんぺいとうを買って、自分もなめながら「芯」を探してみたくなる理由。
それは
私自身も自分の真ん中に「溶けない芯」を一つ持っていたいなぁと思うようになりました。
・・・と、人生観にまで思想を深めたからです。だから、読んでくださる方の心に届く。読む人の「自分事」にもなる。
そして感情が動き、自分も行動してみたくなったのではないでしょうか。
私は、文章力とは「観察力」が土台にあると思っています。
観察するのは、外の世界だけではありません。ある出来事に対して、自分の心がどう動いたのか、なぜそこに惹かれたのか、何を感じたのか。
そこまで観察してはじめて、一つの出来事が自分の文章の「ネタ」になります。
そして、観察する視点の角度を変えれば、「こんぺいとう」の話は無限に広がっていきます。
歴史に着目して、なぜこんぺいとうは400年にもわたり愛され続けるのか、自分なりの仮説を語っても面白い。
製法に関心を寄せ、そこから職人技と自分の仕事観に結びつけることもできます。
あるいは、「甘くて懐かしい思い出」を書くことで、読む人の郷愁を誘うことも。
このように、「何に心が動いたのか」という着眼点を丁寧に掘り下げ、自分なりの思想に着地させていけば、いくらでも記事になるというわけです。
大切なのは「何を見るか」ではなく、「自分は、なぜそこに心が動いたのか」を見つめること。
そこから、自分にしか書けない文章が生まれるのだと思っています。
「今日は何を書こう。何も書くことが浮かばない」と考え、悩む前に、ひとつだけ自分に問いかけてみてください。
今日は、何に心が動いただろう?
その答えを探すことが、文章を書くための第一歩となります。
ネタは探しに行くものではなく、心が動いた場所に、あとから見つかるものなのかもしれません。
みなさんは最近、どんなことに心が動きましたか?コメントでぜひ教えてください。
それでは、また次回のニュースレターでお目にかかりましょう。
noteのメンバーシップ『ことばと書く人の寺子屋』では、日常の出来事や心の動きを、自分だけの言葉、文章へ育てていく思考のプロセスを、一緒に探究しています。





りらさん
おはようございます😊🌿
金平糖からの発想、とても素敵でした😊✨
「今日は、何に心が動いただろう?」
この言葉も心に残りました😊🌿
何気ない日常も、一歩踏み込んで見てみると、面白い発見がありますね✨